2025年最初のブログですが、今回はひきこもりという呼称について、あらためて考えてみたいと思います。
何故このテーマを選んだのかというと、年初に神奈川県大和市で、ひきこもり経験者の講演を聴いたのですが、この大和市が「ひきこもり」という名称を使わずに「こもりびと」という呼び名を行政として数年前から明確に打ち出して使っているからです。
その呼称に触れて、ひきこもりという言葉の意味合い、使われ方について、あらためて一支援者として考え、整理をしておきたいと思いました。

ひきこもりの定義をここで紹介する手間は省きますが、ひきこもりという語句自体は現在、広く社会に広まり、その呼称を聞いたことがないという人はいないと思われます。
しかし、もし問題があるとすれば、その呼称にネガティブな印象やマイナスのイメージがつきまとい、さらには否定的で侮蔑的な感情を持たれる場合があることでしょう。
ひきこもりはその人の人格、属性をあらわしている言葉ではなく、ひきこもっているその「状態」をあらわす概念です。
その状態、状況も人によって実にさまざまですから、ひきこもりという言葉を単純化、固定化したイメージで括るのは、現実からかけ離れた認識となり、誤解や偏見、差別を生む危険性があります。
このひきこもりという呼称に、当事者や経験者、家族はどのような思いを抱いているのか。その言葉にとても嫌悪感を抱く親御さんにお会いしたことはありますが、当事者の人たちの集まりで、ひきこもりの名称を話題にしている場に私はまだ居合わせたことがありません。
ひきこもりを「生きざま」と表現する経験者の方、その状態を肯定的に受け入れ、ひきこもり当事者として生きていくことを実践している方にこれまで出会ってきました。
ひきこもりという呼称について私が以前から気になっているのは、その語感、字面です。
ひく、こもる、という言葉の外面的な印象が強く、ひきこもらざるを得ない当事者の内面、苦しみ、葛藤が、そこには反映しきれていないと感じています。
また、誤解や偏見、差別は、無知・無関心・無理解から引き起こされるものであることも、体験的に痛感しています。
だからこそ、ひきこもりの当事者や経験者、家族のことをより深く知る機会、触れ合う場所や交流する場を、この社会に作っていく必要があることを常々感じています。
最近は、ひきこもりという言葉にポジティブなイメージや肯定的な意味を込めて発信している当事者や支援関係者にも出会います。その語句の一部を用いてローマ字表記でひきこもりを表現するなど、空気の変化も肌で感じています。
さきの大和市は、独自に「大和市こもりびと支援条例」を制定し、こもりびとという名称を正式に使用している理由について、
〈お一人お一人に寄り添いたいとの思いから、より温かみのある「こもりびと」という呼称を使用しています〉
と市の支援ハンドブックに明記していました。
温かみのある支援、人間味にあふれたまなざしや関わり方を学んでいきながら、ひきこもり状態にある方や家族への身近な支援を続けていきたいと思います。
カウンセリングサロンぱすてる
行動支援カウンセラー 喜々津博樹