このブログでは、日頃の私の支援についての考えや活動を中心に書いていますが、今回は違うことを書きたいと思いました。
6月20日に91歳でお亡くなりになった、美輪明宏さんのことをぜひ綴りたいと思ったのです。
私が美輪明宏さんのことを知るようになったのは1990年代の後半。私が20代後半の頃です。
その頃の私は定職に就かず、1人暮らしをしながらアルバイトで生計を立てたり、仕事をしていない日々も多くありました。
世の中の空気や流れに馴染めず、人間関係でもうまくいかないことが多く、今よりも生きづらさを抱え、孤独感や疎外感を感じながら生きていました。
そんな時に、美輪さんのコンサートが当時住んでいた国分寺のアパートから遠くない場所で開催されることを知り、チケットを購入して独りで聴きに行きました。
1999年4月11日、武蔵野市民文化会館大ホール。
初めて見る美輪さんの歌う姿、その佇まいを、私は今もはっきりと思い浮かべることが出来ます。
あの時、私は無職で不安定な身の上でしたが、美輪さんの音楽、言葉、存在にじかに触れることで、生きていく上での原動力、大きなエネルギーのようなものを確かにいただいたように感じました。
あれが原点、始まりだったのではないかと。

その時以来、美輪さんの著作を読み耽り、貯金に少し余裕ができてきたら、春は演劇の舞台、秋には音楽会を、親しい人や家族を誘って聴きに行くようになりました。
美輪さんの作品には、愛と美、人へのあたたかな讃歌、洗練された高い芸術性、そして権力や差別に対する強い怒り、反戦と平和を訴え続ける意思、精神が、生涯にわたりずっと貫かれていたと感じます。
長崎の地で原爆の放射能を浴び、若い時はホームレスを経験し、愛する人との死別を幾度も味わい、晩年は脳梗塞を患った美輪さん。
表舞台にお姿を見せなくなってからは、いつかはこのようなお知らせが届くことを、私は覚悟していたように思います。
美輪さんは生きることの喜びや尊厳を謳いながら、すべての人にやがてかならず訪れる「死」についても、著作の中で読者に語りかけていました。
美輪さんから戴いた言葉は数限りなくありますが、その中でも、私の耳にいま深く響いてくる言葉をひとつご紹介して、美輪さんに心から哀悼の意と感謝の気持ちを表したく思います。
常識と真理とは違うものです。
常識とはクラクラとすぐひっくり返るものなのです。昭和二十年八月十五日を境に、一夜にしてそれまでの常識が非常識にとってかわったようなものなのです。
しかし、真理は一つです。そして永遠のものです。永久に変わるものではないのです。
真理に時間は関係ありません。新しい、または古い考え方などといういい方は当てはまらないのです。
美輪明宏『人生ノート』(PARCO出版)より、一部抜粋。
カウンセリングサロンぱすてる
行動支援カウンセラー 喜々津博樹











