12月7日、師走とは思えないような暖かな空気を肌に感じながら、富士山の麓を訪ねました。
この日は、学生時代の後輩が27年前に富士山で亡くなった命日にあたり、彼のご家族と一緒に富士の山麓を回り、お墓参りに行って来ました。
私は学生時代、山登りのサークルに入っていて、先輩、同期、後輩とともに国内の山々をテントを担いで登っていました。
冬山にも出かけていたので、毎年12月初旬には富士山で雪上訓練の合宿をおこなっていたのです。
1996年の12月。私はすでに大学を卒業していましたが、OBとして合宿に参加しようと、富士山五合目を目指して麓の富士吉田駅(現・富士山駅)から歩いていました。
しかし、その日の午前、現役の彼らが七合目で雪上訓練をおこなっていた時、別の場所で社会人の登山者が滑落する事故が発生。みんなが救出に駆けつけようとした時、彼が凍った雪の斜面でバランスをくずし、数百メートルも沢を滑り落ちていきました。
彼の体は山梨県の防災航空隊のヘリコプターによって発見され、麓の富士吉田市の病院に運ばれたのです。
私は夕方にようやく五合目のテント場に到着して初めて事故のことを知り、彼らが寝泊まりしていたテントを撤収して、富士吉田の警察署に向かいました。翌日、川崎市の彼のご自宅へ仲間とともに訪ね、亡くなった彼と対面しました。彼は大学3年生、22歳になったばかりでした。
それから毎年夏に、彼のご家族と富士山を訪れるようになりました。
五合目の同じ場所にテントを張り、七合目の山小屋までみんなで登って、お花を供えます。
彼のお墓は富士山を間近に仰ぐことの出来る静岡県富士宮市にあり、登山の後はかならずお参りをして帰ります。
そして12月の命日も、ご家族と一緒に初冬の富士を毎年訪ねるようになりました。
この数年はコロナ禍でご家族と一緒にお参りすることが出来ませんでしたが、今年はようやく一緒に車に乗って行くことが出来ました。
彼の命日が近づいてくると、今年も冬がやって来たのだなとしみじみ感じます。
しかし今年は気温が妙に暖かく、富士山の山肌に見える雪もまだわずかでした。
富士吉田の松林の中に入り、ゆるやかな登山道に足を踏み入れると、彼と一緒に山を登った時のこと、学生時代に山で過ごした日々のことを今もまざまざと思い返します。
最近は富士吉田からそれほど遠くない青木ヶ原の樹海を訪ねて、樹海の森で命を絶とうとする人をもし見かけたら、声をかける見回り活動もたまにするようになりました。
富士山の地は私にとって特別な場所であり、いつ訪ねても、静かに心を落ち着けて時を過ごすことの出来る、とても大切な場所となりました。
これからも彼のご家族と一緒にこの地を毎年おとずれて、いつまでも彼のことを思い出していたいと思います。
カウンセリングサロンぱすてる
行動支援カウンセラー 喜々津博樹