私は産業カウンセラーの資格を持ちながら、ひきこもりの支援やカウンセリング事業を個人で営んでいますが、昨日は産業カウンセラーの有志の人たちが集まる交流会に参加しました。
産業カウンセラーとは、働く人とその組織、家族を心理支援するために、養成講座でカウンセリングの理論や傾聴の技法を専門的に学び、身につけた人たちです。
資格保有者の中には、産業カウンセラーを職務として活動している人もいれば、カウンセリングの勉強はしたけれど、実践ではなかなかカウンセリングをおこなう機会を持っていない方もいます。
この交流会では、カウンセリングで誰をどう支えるのか、今どんな活動をしていて、これからどうしていきたいのか、参加者が輪になって自由に語り合いました。
私がとても耳にのこり、あらためて考えるきっかけになったのが、傾聴とカウンセリングはどう違うのか、医療との関係、そして対価をいただくためのカウンセリングとはどういうものなのか?といったテーマです。
傾聴ボランティアや無料の電話相談などは社会に広まってはきているけれど、有料でおこなうカウンセリングのサービスは、この日本に広まっているとはまだまだとてもいえません。
カウンセリングや傾聴を勉強したいという人たちは少なからずいるのに、カウンセリングのセッションを実践でおこなっていたり、心理カウンセラーとして独立して生計を立てている人は、この日本では非常に少ないのが現実だと思います。
それは何故なのでしょう?
その理由についてみんなで話し合いながら、あらためてじっくりと考える機会を得ました。
そして傾聴とカウンセリングの違い、カウンセリングのプロセスというものを具体的に明らかにしてみることで、有料でクライアントにカウンセリングを提供する意味、カウンセリングの利用価値というものが見えてくるように思いました。
私はこの社会におけるカウンセリングの意義、可能性ということにも思いを馳せ、医療との関連性について持論を述べました。
心身に不調を感じたり問題を抱えると、まずは医療、診察につながる人がほとんどで、その手前で心理カウンセリングを身近に活用する、病気を発症する前にカウンセリングを利用する、という人は極めて少ないのではと思います。
カウンセリングという心理サービスがこの日本にもっと身近に広まっていけば、健康の維持、疾患の予防にもつながり、医療を受診する人が今よりも減って、結果として医療費の削減にもつながっていくのではないか。しかし、もし受診件数が減っていくとすると、そうなったら大変困る人たちがいるのではないか。そのような趣旨の発言をしました。
交流会の終わりには、養成講座の時と同じように、今日の会をふり返るまとめの時間がありました。
私はカウンセリングをおこなう目的として、誰もが幸せを感じて豊かに生きていくため、そのためにカウンセリングが身近に利用される社会、という言葉で締めくくりました。
カウンセリングは万能ではないけれど、その質を高めるために研鑽を続け、カウンセリングの持つ可能性を信じて行動していきたいと思います。
産業カウンセラーという仲間同士の語らいの時間はとても豊かで楽しく、活動を続けていく上でのさまざまなヒントと視点をもらいました。
このような場をこれからも大切にしていきたいとしみじみ思う文化の日でした。
カウンセリングサロンぱすてる
行動支援カウンセラー 喜々津博樹